「共謀罪法案」のおかげで、ここのところ、落ち着かない毎日である。
さきほどのNHKニュース(5/19 14:00)では、「共謀罪法案」の衆議院法務委員会での取り扱いについて、河野衆議院議長の仲介で与党強行採決は回避され、継続して修正協議を行っていくよう与野党合意した、ということを伝えていた。
とりあえずはホッとしたが、まだまだ「共謀罪法案」の行方をしっかり監視し、反対運動を盛り上げなければならない。
私も含めてこの法案に反対する大多数の方々は別に法に触れるようなことを考えているわけでもなんでもなく、これからの日本社会の在り様を決定的に悪くするほうに変えてしまう可能性をもった法案であるということで、それぞれの良心に従って情報を発信し、また反対する運動を展開されているものだと考えている。
この当然すぎるほど当然のことに、あえて触れざるを得ないほど、今の日本社会は正論が通らない歪んだものになっているといえる。
正論という用語は相対性があり、何をもって正しいとするかによって様々な議論がありうるが、ここでは大多数の国民が将来にわたって自由で民主的で平和な生活を営むことができるかどうかを判断基準にして話を進める。
翻って、このような声(正論)を大切にするような政治であるか、世の中であるかを考えた場合、どうも流れは違っているようだ。
例えば、この「共謀罪法案」についていえば、その本質を探るためには、「誰が」「何のために」「何故この時に」を考えてみることが必要だと思う。
「誰が」というアイテムでは、これを推進する立場がどういうものであるかを考察することとなるが、私の見方は次のようになる。
法案提出者の内閣の最高責任者である小泉純一郎という人間は、世間受けするような派手な言動の裏で、策略をめぐらし人心を惑わすことを屁とも思わずやってのけるポピュリストであり、米国一辺倒の全く信用するに値しない人物である。
同時に、彼につき従い、己の立場のみに執着し面従腹背している自民党政治家は、肩書きはそれぞれ立派なものを持っているが、人間・社会人・職業政治家としての経綸が伺われず、誰のために何をしようとしているのかよく分からない人達である。
また、官僚は自らの権益のみを行動目標とする存在であることは、一般論としても明らかである。
従って、このような人達が本当に大多数の国民の幸福を真剣に考えてくれるとは思えない、つまり正論は無視される、ということになる。
付言すると 「何のために」は、少なくとも「国民のために」でないことだけは間違いないだろう。